こんにちは。新居での生活が馴染んできたので久しぶりにブログの方を投稿したいと思います。
本日は、初心に帰って「やりたいこと」について書いていきます。
既にやりたいことをされてる方、これからやりたいことを見つけたい!という方まで様々な方がいるのではないでしょうか?
本日は私なりの「やりたいこと」の原石の磨き方をお伝えしたいと思います。
【「やりたいこと」とは?】
私の過去を振り返ると、その時々でやりたいことが変容していました。
大学生の頃は、苦しんでる人を救いたいという気持ちからカウンセラーになろうと転入しようとしたこともあったし、
高校生の頃はクラリネットの道を極めようと、音大を志していたときもありました。
中学生の頃は、建造物が好きだったので建築家になりたかったですね。
結構その時々の環境やマインドの変化でやりたいことが変わってきました。
一貫性が無いという方もいるかも知れませんが、フットワークが軽くて良いかなと自分では思います。
しかし、そんなコロコロとやりたいことが変容してきた私ですが、コーチングを学び始めて「やりたいことはなんですか?」と問われた時には何故か答えることが出来ませんでした。
【「やりたいこと」が分からなくなった原因】
コーチングを学び始めた当時の私は、薄らと自分も周りの人を導ける仕事がしたいなと思いながらコーチングを受けた人がコーチングを仕事にするのはつまらないなと心の何処かでジャッジをしてしまっていました。
その為に、「やりたいこと」を聞かれた時に自信を持ってコーチになりたいと言うことが出来なかったのかなと思います。
【「やりたい」気持ちを封印する「ジャッジ」】
「やりたい」という気持ちがワクワクと心から湧き立つものであるとするなら、
「ジャッジ」とは、そのワクワクを裁く「思考」です。
私たちは子供の頃から長い時間をかけて「やりたい」という気持ちだけでは生きていくことが出来ない。
「思考」という名のジャッジで「やりたい」気持ちを抑えながら生きていくことを覚えていきます。
確かに「やりたい」という気持ちだけで衝動的に生きていくことは出来ないのかもしれません。
しかし、私たちは必要以上に「やりたい」気持ちをジャッジで封印する癖がつき過ぎてしまっています。
【ジャッジを手放すことで見えてくる世界】
ジャッジとはある意味自分の頭の中にインプットした「ルール」です。
このルールが世界の中にある「見えない壁」を作っています。
「他人に承認されなくてはならない」というルールで他人から褒められようと努力したり、
「良い大学に入らなければならない」と頭に書いてあるから大学に入ろうと努力します。
このルールという名のジャッジを手放さない限り、そのルールの中で出来る「やりたいこと」をやろうとします。
私は「ルール」が増え過ぎた為に、「やりたいこと」が何か?答えられなくなっていました。
しかし、今ではそのジャッジの手放し方が分かり、日に日に自分がやりたいことはなんなのか?薄らとですが輪郭が分かって来ました。
【「やりたいこと」は何でも良い】
人によって「やりたい」という気持ちの原石の形は多様です。
ビデオゲームのスタイルが人によっては「縛りゲー」が好きな人もいれば、「収集ゲー」が好きな人もいるように人生の歩き方も一人一人多様です。
しかし私たちは学校という同じ箱の中で同じように人生をプレイするようにインプットされてしまっています。
ですが人生のプレイスタイルは人によって違って良いのです。
縛りゲーが好きな人はいくらだって借金を背負っても良いし、シュミレーションゲームが好きな人はいくらでも会社を作って沢山の人を動かせば良いのです。
他人のライフスタイルをジャッジすることは出来ません。だってその人が本当にやりたいことなら誰にも止めることは出来ませんからね。
是非インプットされたジャッジを手放していきながら、お互い自分だけの人生のスタイルを思い出していきましょう!
最後まで読んでくださりありがとうございました。
