おはようございます。
本日のテーマは「罪悪感」です。
小学生の頃の私、昨日のブルグでも書いた通り「正義」のものさしで自他をさばきまくってました。
同時に「正義」のものさしに反することをしてしまった時は、自身に対して様々な「罪悪感」を抱くケースが多々ありました。
そんなたくさんの罪悪感を感じてきた私から、罪悪感の許し方をお伝えします。
【子供の頃に感じた罪悪感】
小学生の頃の私は、ある日友達から鳥の卵をもらいました。
学校近くの木にある鳥の巣からとってきたそうで、友情の明かしだったかな?
私は卵をもらってとてもうれしかったのですが、何かの拍子で卵を割ってしまいました。
そして割れた卵の中からまだ未熟な鳥の赤ん坊が出てきてしまいました。一度卵を割ってしまい、助けることはできません。
怖くなった私は教室のゴミ箱に赤ちゃん事ゴミ箱に捨てて家に帰りました。
【後から来る罪悪感】
家に帰った私はやっと冷静になって来て、「あの対処で良かったのか」を考え、ここで驚きや恐怖から罪悪感に変わりました。
その罪悪感を抱えるのが嫌だった私は、親に卵のことを伝え、学校にもう一度戻ってごみ箱から鳥を回収し、自宅の庭に埋葬することにしました。
【罪悪感】
今回の例では一応、自分でやってしまったことに対して癒す方向で行動できたので、数日間は暗い気持ちが続きましたが、収まりました。
もしゴミ箱に捨てたまま誰にも言わず、そのまま小学校に通い続けていたら罪悪感を抱え続けていたかもしれません。
【罪悪感への許し】
一度起こった過去は変わりません。変えられるのは自分の価値観だけです。
しかし罪悪感は、価値観の一部の「ものさし」から生まれます。
頭の中にあるガチガチの「ものさし」を緩めてあげる。
そうすることで罪悪感も緩まってきます。
【罪悪感なんてない】
そもそも、僕の体験談を聞いても「これって罪悪感感じる?」とピンとこなかった方もいるかもです。
罪悪感って主観的なものです。自分に入れた物差しが見せる幻想です。
猫は罪悪感なんて感じず毎日好きなことやってるし、一歩他国に行けばそもそも罪でないこともあります。
罪という存在は、今の社会の枠の中にしかありません。ですが社会の枠で、他人と協力する必要もあります。
罪悪感は許しながら、自分の望む道を求め続ける。このバランス感覚が必要かなって思います。
是非罪悪感を許しながら、バランスよく生きてみてください。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

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